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宮城県石巻高校の探求授業『ブラック校則』にスポット講師で出たよ

わざわざネットから生徒から問い合わせがあって、オンラインで授業にスポット的に出てきました。

今は授業に地域人材を活用する!ってことで、いろんな大人に生徒たちのほうからコンタクトを取るみたいなんですよねー。

今回のテーマは【ブラック校則】でした。(これは校則の変え方って検索ワードで1位だからだと思う)

https://t-knit.or.jp/media/school-regulation-change/

前もこういう時あったんですが、僕にこういうの依頼すると、質問しにきたのに問いを投げ返したりしますw

質問しにきたのに、質問しまくってごめんなさいと思いつつも、その部分が分からないとブラック校則の謎を解くことができないからです。

そう、つまり、ルールの裏側で何が起こっているか?を知ろうとしないことは単なる無知になってしまう。そうなった経緯は必ずあり、その背景と現状は合っているのか?本当に【みんなが】もっと幸せになれるのか?

それを腑に落ちた状態じゃないと、ブラックではなくならない。校則を変えるのにはエネルギーがいる。そのエネルギーは「やっぱりこれじゃだめだよ」って【確信】を強めていくことが大切。

自分の行いは間違っていない!と思うために、自分に答えを作らせるのはとても大事なことだろうって思います。

そんなことを話していたら、結構盛り上がり、1時間もいろいろと話してしまいました。

今回も感想は送られてくるのでしょうか?楽しみです。

こういうスポット的な講師は資料もなんも作らないでアドリブのみでできるんで、面白いなぁw

なんかあったら声かけてね!

地域学校協働活動コーディネーター養成講座研修完了!

2023年度、T-KNITの学校応援チームメンバーで挑んだ笠間市教育委員会からの依頼の『地域学校協働活動コーディネーター養成講座』。

その最終回が一昨日終わりました〜!

・大満足なアンケート結果(4点満点で3.9)

・研修後から協議会の活性化が目で見て分かるほどだった

・補正予算が組まれるほどだった

・協議会同士のコラボが生まれた

・他の学校、他の市町村から講演・研修依頼が入った

といろんな波及があった活動になりました。

これも協力してくれたチームメンバーとOB、ゲスト(息子含むw)のおかげでした。

来年度も楽しんでやるためにメンバー同士でも研修したり、交流したりしていきたいなって思います!

ありがとーー!

研修に関しての報告・感想はこちらです。

https://t-knit.or.jp/20240119-cs/

○子供の限界を大人の都合で決めない。

昨日はとてもおもしろいことがあった。

小学生に上がる前の三男がひらがなを自分から書き始めたのだ。

三男と長女は歳が近いこともあってか、いつも一緒に遊んでいる。

その最たるものが『落書き』だ。

所構わず落書きしようとするので、ペンをもたせるのはさすがに危険w

※新しい本拠地になったこともあって、落書きは結構厳し目に怒る

そのため、いつも捨てても構わないような紙を用意してずっと書かせていた。

そうしたら…

続きはこちらから。

https://salty.style/children-limit/

オンライン3密になってませんか?

最近はコロナになってからみんなオンラインだー!って騒ぐようになった。

ZOOM、Teams、Google…。

本当にいろんなウェブ会議システムがしのぎを削っているような状況だ。

そうすると使う側もあれやこれやとミーティングをしようとする。

事あるごとに飲み会をしようとする。

いや、人と会えない分、そうなるのは間違いない。

僕だって人と会えないのは寂しいものだ。

そうなるのは分かる。

しかし、本当に怖いものがある。

オンライン3密だ。

これは僕が勝手につけた名称だが

オンライン3密は

①6時からの時間の取り合い

②13時からの時間の取り合い

③21時からの時間の取り合い

から起こる、ミーティングの被りである。

特にひどいのが21時からのミーティングだ。

多くの人がこの時間は空いていると思われているらしく、時間の都合が取りやすいのだろう。

もちろん子供がいる家庭はどうしても落ち着くのが21時からになってしまう。

それは僕の家庭でも経験済みだ。

しかし、コロナ前から開催していた21時のミーティングにコロナ後出てきた新しいミーティングがかぶってくる。

自分が主催しているものにかぶって、これお願いします!みたいなミーティングや、講義が被ってくる。

そうすると捨てるか、一番困るのが2つ同時にミーティングを立ち上げる場合もある。

片耳でイヤホン、片耳でスピーカー。

どちらかはマイクON。

脳内は結構混乱する。というか、ADHD的に結構難しいと感じた。

これは確実に密だし、なかなかストレスかかるし、100%の力で向き合えないので、集まっている人たちにも「申し訳ないなぁ」と思ってしまう。

もちろん、これは立ち上げた人に罪はほぼないのは分かっている。だが、この密な状態は本当に疲れるし、ストレスだし、断るのも結構大変なのだ。

これから慣れてきた人たちがまた新しいミーティングを立ち上げるだろう。

その時、安易に21時台と決めるのは良くないなとも思う。

僕は9時から1時間、15時から1時間、17時から1時間などの時間が都合が良く、さらに1時間というキッチリと短い時間で終わらせるのが良いと感じている。

むしろ長時間のオンラインミーティングや、講義はリアルより何倍も疲れる。

ちゃんと行うならアンケート機能を使って全員に「何時が都合良い?」と聞くのが良いと思う。

(それでも21時という魔法の時間は非常に強いのだがw)

オンライン3密によって、ストレスを抱えてしまうのは本当に良くない…。

だからこそ、自分の中でしっかり取捨選択をしていくべきだなと強く感じた。

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「歌ってみた」という文化を作った時の話

驚かれるかもしれないが、「◯◯してみた」というジャンルを作ったという経歴がある。

正直に言えば、僕が作ったワケではなく、『僕たちで作った』という認識が正しい。

最初、既存の音楽に自分の歌を載せるという文化はインターネットカラオケマンというタグで投稿されていた。

このタグの認識は「ただの自己満」、「リアルで歌えないキモいやつ」、「誰も聞いてくれない微妙な歌」みたいな認識が強く、この認識をなんとかしたい!と立ち上がったのがゴムさん(現:HoneyWorks)数人だ。

「みんなで歌ってみた」を作ろう!

そんな形で広まった活動。僕もちょうどその頃に歌ってみたを出し始めたので、そのグループに誘われた。

当時はSkypeのグループでチャットと通話が盛り上がっていた。何しろインターネットの音楽文化をなんとかしようみたいな人が100人くらい集まっていたからだ。

一日で1000通以上の会話が毎日のように繰り広げられた。

毎週のように突然通話が始まった。

そして、生放送にも毎回400人前後の人が集まって、盛り上がった。

こんなことを連日繰り返し、歌ってみたというジャンルが確立され、ニコニコ動画にカテゴリとして認められるようになった。

そこからどんどんこの歌ってみたのタグを付け投稿する人が増え、1年で約3万人に。

2年後には収集つかないほど人が増え、踊ってみたなど◯◯してみたみたいな文化まで生まれた。

「もう文化としては十分だろう!解散!」

みたいな空気が流れ、みんなそれぞれに活動するようになった。

それが2010年頃。

2012年には初期の人たちはなりを潜めていくようになり、僕もこの頃、歌ってみたを投稿するのをやめた。

第二次歌ってみたブームみたいなのはここから始まったとも言える。

しかし、昨日、本拠地に来てくれた人が

「歌ってみたをやりたい!」と録音しにきてくれた。

久々に閉まっていたオーディオインターフェースや、マイクを取り出し、パソコンに接続して心が踊った。

「本当は自分も歌いたかったのかもしれない」

そんな風に思っていたら妻が

「私も録っていい?」

というので自由に小一時間ほど自由に歌わせた。

出てきた妻は興奮して

「いやー、こんなに自宅で歌うのが面白いと思わなかった。歌ってみたやろうよ」と言い出してきたのだ。

今までは一人で興奮して、仲間と共有してきたが、

その仲間たちはもうほとんど交流がない。

しかし、二人で興奮して、新しい仲間と共有する。

もしかしたら僕の中で第二次歌ってみたブームが始まる…かもしれない。

こういう趣味を共有する夫婦の形もアリだなと感じる今日このごろ。

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ADHDの僕が妻と夫婦を続けられる理由

僕はADHDと呼ばれるタイプの人間。

だけど、そう診断されたのは大人になってから。

28まではADHDとは知らなかったのだ。

ADHDは多動性というものがあって、間違いなく僕の中にはこの多動性がある。

何かしら大きな身振り手振りが入るし、貧乏ゆすりをしている。

人が話してる時は鼻や爪をいじってたりする。

いや、意識して止めることはできるけど一瞬しか止められない。

集中が途切れるとまた戻ってしまう。

無意識化にはその行動が植え付けられてしまっているかのように。

昨日、妻と「僕が最初から裏表のない人で良かったね!」みたいな話になったのだが

これがADHDと診断されるのが結婚した後だったらどうなっただろう?

僕には弟のような存在ができた。

顔も声も行動もどことなく似ていて波長も合うのでそう呼び合うようになったのだが

彼の場合はADHDというのを知ったのは結婚してからだった。

そのせいで奥さんがどうしても理解できず別れてしまったと。

まるで別人がやってきたようだとは感じていたようだけど、それは実際に会ったこともあるし、間違いなく感じてもいた。

ADHDと知ってしまうと良くも悪くも次なる行動をする。

なぜか?

自分の可能性を諦めたくないからだ。

それは僕も同じだ。

だから、自分自身をある程度見定めていこうとする。

そうすると今までとは何かしら違う行動をする。

僕の場合は昼寝を許容したり、いろいろなところに手を出すこともある程度許容したり、逆に意図的に絞ったりという行動をした。

それは自分に優しくするためだ。

その行動の変化が結婚前に妻には見せられていた。

だから、お互い納得のもと結婚できたのだ。

しかし、弟くんの場合はそうは行かなかった。

結婚してから自分の特性を知ってしまった。

そうすると相手も行動の変化を強要される。

それがカサンドラ症候群発症のキッカケになるのだろう。

僕たち夫婦は4年も経つが円満に過ごしている。

毎日ハグもする。(これは妻がマタニティブルーになっていた時の名残。詳しくはマタニティブルーになった妻を夫として支えるベストな対応法を読んでほしい)

ただ、それは自分という存在を知っていたから続いている縁なのかもしれない。

そう感じたら、早い段階で自分と向き合うことが大事なんだなと思う。

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自宅で好きなことをさせているだけで勝手に学ぶ

昨日、あらためて長男がものすごい成長をしているなと感じている。

何かというと、自分の好きなゲームに自分の好きなキャラを追加したというのだ。

長男「お父さん、テラリアって知ってる?」

僕「前やってたやつね~。うんうん」

長男「あれにModを入れたんだよ。パソコンで。」

僕「おお、ついにそこまで来たか~」

長男「しかもこれ、日本製のじゃなくて海外製のやつなんだよね。」

僕「なにwってことは全部英語か」

長男「うん。すごく難しかったけど、なんとかなった」

本当に見てみたら全て英語で書かれている。

つまり海外のゲームだ。

海外が主体でその翻訳されたものが日本に来たらしい。

しかし、日本版だとModが追加できないということらしい。

というと、なんとなくでも英語を読めなければ先に進むことはできないし、パソコンでキャラクターを追加するなんて不可能だ。

元プログラマーだった僕がModを追加するという行為がどれほど難しいことか知っている。

パソコン操作は必要だし、ファイルの属性も理解していかないといけないし、ましてや英語。

ただのゲーム好きもこのレベルになってくると異常だ。

しかし、僕はこのような状態になると思ってパソコンを渡している。元々それくらい好きなのは知っていたし、パソコンを渡したことで才能がメキメキと開花され、自分の限界値を跳ね上げている…。

アフターコロナでは学校はどうする?

そんな考えもあるけど、学校よりも家にいた時のほうがまったく知らない未知との遭遇が増えている。

学校の課題には未来が少なく、この学習した結果がどのように活かされるかがまったく持って見えないし、「やる意味あんの?」が口癖の長男としては最も意味のないものだと感じているのかもしれない。

逆に今はパソコンも英語もメキメキ上達している。教えていないのに勝手に探してくるのだ。

そしてその結果がすぐ画面を通して反映されるのだ。

不登校になるという子もいるが、一定数の子がこの『面白くない』を理由に不登校になってしまうケースもあるんだろうなと思っている。

前にもメディアで書いたが、そういう時にはやはり自分の好きな生きやすい環境が整っているのか?ICT整備とかそういうのだけじゃなくて、「やってもいいんだよ」という空気感は学校にあるのだろうか?

いや、今の時点ではないだろう。

今回のことは学校で教えるべき義務教育はすっ飛ばしているかもしれないが、これが生きる力を育てるというにつながると思う。

これからの学校教育は未来が見える教育にする。これはめちゃくちゃ大事だなぁと感じる昨日の出来事でした。

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家族を幸せにできるくらいの力を持っていれば悩まないのではないか

僕の妻は意外とお金に対して疎いと思っている。

いや、お金に対してというよりも人のお金と他人のお金の区別がついていない…と言えるかもしれない。

こんなこと書くのも恥ずかしいのだが、家族カードを渡していて、毎月何かしら自分の買い物をしている。

しかも、そのお金が戻ってこないのだ。

さすがにこれには参ってしまって何度か言っているが治らない。

積もりに積もった金額がいくらなのか僕にはまったく分からなくなっているという状態だ。

普通の人なら完全にキレたりするところであるが、僕自身はこのお金との向き合い方について最近考えている。

そもそも、このキレるはなぜキレているのかが重要で、

裏切られた…と感じているのか?

それとも自分のお金が少しずつ減ってしまうことを思っているのか?

と考えた時、後者だと思う。

そう考えた時、僕は誰のおかげで仕事ができているのか?を考えた。

それは間違いなく妻が支えてくれているからだ。

そうした時に妻が欲しいと思っているものを自分で買えるのか?というと、それもNO。自分で稼ぐにも子育てをしているからだ。

※放置プレイな時も多いけどw

そう考えた時、夫として妻を幸せにできるか?を第一に考えれば少しの金額くらい目を瞑ったって構わないではないかと思ったりする。

妻はこのコロナの時勢で自力で働くことは難しいからだ。

そう思った時、夫としての今の役割は妻や、子供たちが不安になることなく、幸せに過ごせるようにできる限り頑張る。

これが精神衛生上も良いと考えた。

確かにお金が減っていくのは怖い。

しかし、お金は一番大事なものに僕はならない。

むしろ生きていけるだけの余力があれば無くても問題ないと思うくらいで、そもそも欲がないのだ。

自分が一番大事にしていないもののために、一番大事なものを傷つけたりするのは間違っているのではないか?

そう考えるようになった。

もちろん、いろんな考え方もあるだろう。

ただ、家族がみんな大事なのは幸せになれる方法。

お金のために喧嘩ばかりしている夫婦にはなりたくないなと感じている。

まぁ、それでもお金は本当に大事に使って欲しいけどねw

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あるがまま、自分のできることをする

はっきり言って、今日の文章は誰にも見せる必要がない日記だなと思うのだが、一応書き起こしておく。

朝、SNSで流し読みをしてしまったからだと思うが、僕は今、焦燥感に包まれている。

最近は教育支援について考え出している人が本当に多くなっている。

特に子供ではなく、先生たちの支援が顕著。

この世界は自分の求めていたことに近い形なのだが、みんなができることをやり始めたことで自分には焦燥感も出てきている。

自分も何年も前からこの取り組みをしていたはずなのに、まったく進んでいない。形になっていない。しかし、周りはあっさりと形にしている。

と、焦ってしまっているのだ。

これは前のブログ支援の時にも同じようなことが起こっていた。

メディアのほうでもSNS疲れについて書いたことがあるが、SNSを見るのも辛くなってやめた。

自分がみじめに見えてきてしまうのである。

そういう点でいうと、今も似たような形。

3つ同時に進めようと思っているから手も足も出せないという状況になっているんだと思う。

そういう時はどこか一つに…と思うけど、はっきり言ってすべて今求められていることだったりする。

捨てるということは今は一旦置くこと…と分かってはいても選択することができていないのだ。

今、やらなきゃいけないことは何か?

自分の大切にしたいことは何か?

結局は選択の連続で、人に教えるという身でありながら、自分自身も大きく迷っていたりする。

一つだけ言えることは

今、決めない限り、全てにおいて遅れを取るだろうということ。

そしてたぶん、どれを選んでも正解の道で、何年かすると全てやるだろうということ。

自分自身が取り留めもないことを書くしかない日。

こんな日は久々だけど、「今日は随分と焦りから始まっているな」と感じている。

そういう点ではマインドフルネスが必要なのかなぁ…。

という今日このごろ。

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誕生日を祝ってくれる人がいるありがたさ

5月1日が過ぎて、自分の誕生日が終わった。

サプライズでケーキを用意してくれる仲間がいたり、集まってー!と言って仲間たちが集まってきてくれたり、これは本当にありがたいなと思う。

僕はこの世に生まれてから誕生日に祝われなかった日はあんまりなかった。

誕生日を呪っている人もいる中で、これはとても幸せなことなんだと思う。

自分の誕生は全然気にならないのだが、自分の子の誕生を見てからはやはり、人がこの世に生を受けるというのは本当にすごいことだなと思うし、そのために女性がめっちゃ苦しい想いをするというのもある。

この妻が子供を産む時の話は僕のブログに詳しくまとめてあるので、興味があればぜひ読んでほしい。

その一連の流れを見てからは本当に自分がなぜこの世に生まれて、何を為していきたいのか?を深く考えるようになった。

生を受けるというのは命が生まれるだけで、ただそこにあるだけ。

もちろん、生まれただけで、生きているだけでありがたい…という話もあるんだけど、それは周りが決めていることであって、生を受けた本人にとってはまったくベクトルの違う話。

自分の人生は自分でしか色づけしていけない…。

それは子供たちと過ごすようになってから深く深く考えている。

ただ、何となく過ごすこともできるけど、本当にそれで良いのか?何となく過ごしてしまって、僕は本当にそれで満足なのか?

子供ができた当初はこればっかり考えていたのだ。

その考える行為を持ってから、人生の色が深くなったような気がする。

ただ、空が青いというだけでもその青が透き通って見えるし、家族の空気感が白色から温かみのあるピンクや、オレンジのオーラって感じるようになった。

スピリチュアルな感じもするんだけど、これはそこの領域まで行かないと見えないものなのかもしれない。

そういう点でいうと、僕はまだまだこの色を深くできると思う。

歳を食うという誕生日が段々嫌になる…という人もいるけど、僕は歳をとるのが楽しみだ。

それは祝ってくれる家族や、仲間がいるから。

自分の生きている意味を深く実感させてくれる年に一度の誕生日。

来年は一体どんな自分に会えるだろうか。

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フリーランスという言葉すら知らない僕がなんで5年も続いたのか?

5月1日、今日は僕の誕生日である。

今年で34歳になった。

5月1日というのは本当に特別で、

個人事業主の開業日もそうだけど、

いろいろなめんどくさい取り決めなんかは全部5月1日にしていたりする。

今年の誕生日はその中でもかなり特別感がある。

何しろ自分の家を持ったからだ。

そして、自分の特性を理解しているからだ。

さらに幸せな家族までできているんだから言うことはない。

これが幸せを感じるということなのかなと

今年の5月1日はとにかく特別感がある。

開業したのは5年前。

この時、僕は何も分かってなかったし、よくこんな決心したなと思う。

何しろ、個人事業主や、フリーランスという名前も知らなかったし、そんな業種が存在しているのさえ知らなかった。

この日本の業界というものを完全に甘く見て、自分のビジネスをするぞ!と意気込んでいた。

フリーランスは5年も持たない人が大半らしい。

それでも、こんな風に僕がフリーランスをやって、ほとんど他の会社などにバイトに出ないのにやってこれたのは

お客さんとの縁と運と自分の志だったと思う。

メディアのほうでも志とは何か?についてまとめてあるので、ぜひ読んで欲しいんだけど…、

そう、僕は単純に運が良かった。

何か足りないと思った時にポンッとその情報があったり、締切間近だったりする。

そういう時は迷いなくスッと入れてしまうので、それを躊躇せず飛び込み続けただけだった。

もちろん、失敗も多かったけど、失敗は人を育てるということを知り、今では仕事にすると思ってなかったことでお金を得ている。

たぶん、これがチャンスを掴むということなんだけど、

チャンスを掴むには『覚悟』がいる。

良い餌があったとしても食いつく勇気がない人は振り落とされてしまう。

そうして落とされてしまった人がその5年も保たなかった人…というのだろう。

僕はこれから新しい道に転換しようとしている。

それは自分が思い描いていた夢の形だ。

5年前の今の自分にもし伝えることができるならば

夢はいきなり叶わない。まずは自分自身を固めておけ。

周りは気にするな、昨日の自分と比べていけ。

1%でも何かやったと感じられるならば、それが成長だよって言える。

5年あれば人は大きく変わる。

さらに5年後の自分は一体どのように大きく変わっているのか…。

ちょっと楽しみだ。

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夢の中で夢を語る夢を見た

不思議なこともあったもんだと思うけど、さっき夢の中で夢を語る夢を見ました。

内容はこちらにまとめました。

https://salty.style/20200430/

コンテンツ作りは分かってから書いていたんでは遅い

コンテンツは分かってから書いていたのでは遅い。

まずは目的を決め、淡々と続けることが大事なんです。そんなことを書いたブログを分かりやすく下にまとめました。

https://salty.style/20200429-2/

○面白くなかったら面白くなるまでやる

僕は仕事としてブログの作成支援とかSEOの研究を行う場所を用意している。

コンテンツ作成を支援するメディア

他に夢がある。学校の先生を助けること。

これは自分のプロフィールにも書いたように、学校の先生へ恩返しするため…と思っていた。

今はコロナの時代。

今こそ学校の先生たちを助けるにはうってつけの状態だ。

ところが、前になかなか一歩が出ない。

▶なかなか先に進まない教員支援メディアw

いや、一歩は出てるんだけど思ったよりも進捗してないって表現が正しいのかな。

そう、僕はADHDなので簡単に易きに流れる。

好きとか楽しいとか思うほうに、つまりラクなほうに流れていってしまう。

学校の先生たちを助ける法人はあるけど、会員さんは反応がなくなってしまい、理事も反応が薄くなっている感がある。

そうすると僕も力が出ない。

そんな風に思っていた1年前。
今はめちゃめちゃ楽しい。

一体どうしてこんなに楽しい毎日になったのかというと、自分から行動をしたからだと思う。

より分かりやすく、詳しくこちらにまとめたのでぜひ見てみてほしい。

https://salty.style/omosirokunarumade/

○ただのおにぎりから生まれる三男と父の絆

僕の三男はASDでこだわりが強く、結構なワガママ。

朝はいつもたっぷりな要求をすることが多くて

「たまご焼き!あと、目玉焼き!それとふりかけ!おにぎりも!」みたいな話をしてきます。

この話しは下記のブログでもっとキレイにまとめました。

https://salty.style/asd-family-onigiri/

○学校は何があったら学校なのか?

学校ってごく当たり前に存在していますが、学校ってそもそも何なのでしょうか?

学校は建物があったら学校になる?

でも、その場合、廃校になったところを使っている事業者がいたら学校とは呼ばないですよね…。

学校は先生と子供が揃っていたら学校になる?

でも、その場合、教える人がいて教わる人がいたら学校になっちゃいますよね。塾との違いは何?ってなりますね。

そんな学校の定義について僕の個人的な考えをシェアします。

この記事は学校は何があったら学校なのか?にて、もっとキレイにまとめました。ぜひお読みください!

https://salty.style/school-granddesign/

○特色ある学校づくりをしているという伝え方に悩む学校の姿

僕はコミュニティスクールを第三者としてサポートする立場として学校に関わらせてもらっています。

そんな時に特色ある学校づくりに対しての話が出てきます。

今回はそんな話です。

この話はより分かりやすく書き直しました。

ぜひこちらをお読みください!

https://salty.style/featureschool/

アウトプットが苦手な人たちへ

明けましておめでとうございます。そして2020年になりました。

今年は皆さん、どんな年にしたいですか?

僕はずっと周りのみんなから言われていた「自分のブログを持たないの?」ということをやろうと思っています。

んで、結局、noteもWordPressも併用することにしました。

この記事も見やすく書き直したので、こちらからお読みください。

https://salty.style/blog-output/

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